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2014年7月 6日 (日)

須賀敦子著「コルシア書店の仲間たち」を読んで

著者は1929年生まれ。私の母と同年代です。1960年から1971年までミラノに住み、夫のペッピーノと協力して日本文学をイタリア語に翻訳した方だそうです。

 

この本は彼女のミラノ生活での精神的支柱であった、コルシア書店の同士たちと書店に出入りする友人たちの物語です。

 

登場人物は、コルシア書店の創始者で、彼女に影響を与えた詩人でもあるダヴィデ神父、仲間のカミッロ神父、ペッピーノ、ガッティ、ルチアといった面々や、書店に出入りする、元貴族やブルジョアジーの女性たち、ジャーナリスト、アフリカ人の青年など多彩で、彼らに纏わる逸話を読むうちに、戦争がまだ遠い過去ではない1960年代の北イタリアの大都会の社会の雰囲気が、ミラノ名物の霧の中から浮かび上がるように、徐々にこちらに伝わってくる。

 

コルシア書店はキリスト教左派の面々が立ち上げた書店であったが、政治信条や社会階層の異なる人々が集い、著者もその人たちと親しく交わっている。そのことに当事者たちが何の違和感も持っていないようなのが、ちょっと不思議な感じだ。

 

夫のペッピーノを含め著者の仲間の多くはブルーカラーの出だったり農家の出だったりするが、彼らの店のパトロンは大企業の大株主のテレーサ夫人や、侯爵家に連なるフェデリーチ夫人など。著者らも彼女らの家に招待されたりしている。またブルジョアジーのサロンにもしばしば招待されている。

 

「ツィア・テレーサにたいする、書店の仲間や友人たちの態度は、まるで中世の騎士たちが,忠誠を誓った貴婦人にかしずくようなところがあった。(入口のそばの椅子)」

 

ひとところに集う同士でありながら、互いに厳然とした階級意識も存在する。たとえばブルジョアジー出身のルチアと彼女を慕うカミッロの間にも。

 

幾つものエピソードが折り重なって、60年代のミラノの精神的風景が浮かび上がってくるようだ。

 

ところで、60年代は団塊世代の時代だ。1968年にそれは世界的な学生運動となって顕在化する。より左傾化したコルシア書店はついに家主の教会から立ち退きを求められ、著者が情熱を捧げたコルシア書店は事実上終わりを迎え、その少し前に夫のペッピーノと死別した著者は日本へ帰ることになる。

 

戦後にも関わらず、60年代のイタリアには戦前からの古い社会秩序が残っていることに、僕は意外な感じがした。同じ敗戦国でも、イタリアと日本の立場は大きく違っていたのだろうか。また70年代以降はどうなったのだろうか?

 

実は、僕の高校からの友人であるI君は80年代からミラノに住み、ヴァイオリン職人として工房を営んでいた。80年代にはまだミラノでは東洋人は少なく、I君にもミラノの人々は親切だったそうだが、次第に東洋系の住民が増えるにつれて、周囲の東洋人に対する目が厳しくなったように感じられたとか。現在のミラノはまたさらに少し違った社会なのかもしれない。

 

あとがきで著者は古い友人のダヴィデ神父の死について語り、この物語を締めくくる。

 

「人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。

 若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かって私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」

 

「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものは、ない。(ウンベルト・サバ、須賀訳)」

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