須賀敦子「トリエステの坂道」を読んで
須賀さんのエッセイの三冊目です。
この本の最初のエッセイは、詩人ウンベルト・サバを偲びつつアドリア海に面した北イタリアの街、トリエステの坂道を歩く話で、最後のそれはローマの中世からの曲がりくねった路地を歩きつつ、ローマに住んでいたある年長の作家の思い出を綴っている。
しかしその間に挟まる各章は、須賀さんの亡夫、ペッピーノの親族や実家の隣人、幼馴染についての回想録のようになっている。なかでも、ペッピーノの母親、結婚当時既に亡くなっていた義父や義弟のアルドに関する回想が印象的だった。
読者は著者の結構波乱に富んだ半生について、著者とともに曲がりくねった小道を歩くようにして、各章を読み続けることになる。
生い立ちの定かでない、多分イタリア南部から流れてきたらしい義父の、漂泊者のような人生から、イタリアの北と南の関係が窺われるし、姑の親戚との付き合いから見える貧しい小農の暮らし、義弟アルドの妻の実家を通して見える、イタリア北部の山の暮らしなど、戦後まもなくのイタリアの暮らしが日本のそれとどこか似ていることに驚かされる。
ところで著者はイタリアの中でも、アドリア海に面しクロアチア国境に近い、イタリア辺境の街、トリエステに特に心を惹かれるらしい。トリエステは古くはオーストリアに属し、後にベネチアの支配下に入った、複雑な背景をもつ街で、住民は以前からイタリアへの帰属意識を持ちながら、文化的にはウイーンの影響が強いとか。
著者はトリエステの坂道で、かつて詩人ウンベルト・サバが経営していた「ふたつの世界の書店」を探そうとする。
「州全体のものとしては信じられないほど薄い番号簿のトリエステの部分には、古書店も入れて本屋はほんの五、六軒だったから、サバの書店は気ぬけするほどあっけなく見つかった。サバが生きていたころは、たしか≪ふたつの世界の書店≫という名だったのを、番号簿では≪ウンベルト・サバ書店≫と名が変わっていた。味も素っ気もない、観光客向けのその名称は、書店を引きついだ人たちの無神経さを物語っていた。」
サバのいうふたつの世界とは、ウイーンとベネチアだろうか。アルプスの向こう側とこちら側・・・著者は二つの世界のどちらかに属することを拒んだサバの生き方に心を惹かれたのだろうか?あるいは著者自身、日本とイタリアの間で、どちらかに属することなく生きることを夢見たのだろうか?
実は僕にとって一番印象的だったのは、「ヒヤシンスの記憶」の章で、著者がパリ郊外のマルメゾンの森で、初めて野生の紫のヒヤシンスの花を見つけて、それを摘んでハンカチに包み、パリの下宿に持ち帰るくだりだった。パリに帰るとセーヌの学生街には人と車があふれていた。
「一日を郊外で過ごした若者たちが帰ってきたのだ。車という車の、バンパーやらサイド・ミラーにまで、紫のヒヤシンスと黄色いラッパ水仙を、縄のように編んでゆわえつけてあって、どの車もやたらとクラクションを鳴らしていた。」
野の花がこんな風に春の祝祭気分を演出する光景は、今の日本では見られないだろうなあ!
この紫のヒヤシンスは僕らが日本でよく見かける、ダッチ・ヒャシンスではなくて、もっと古い園芸品種であるローマン・ヒヤシンスによく似た花だろう。僕の家のベランダでも春になると毎年、可憐な青紫の花を見せてくれている。
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