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2014年9月13日 (土)

鶴見良行「ココス島奇譚」を読んで

1826年からの152年間、インド洋に浮かぶ絶海の孤島、ココス島に世にも奇妙な白人王国が存在した。

 

この本は敬愛する社会学者である鶴見良行さんの遺作となる書です。鶴見さんは東南アジアの近代~現代社会の成り立ちと矛盾について現地調査を基に広く問題提起してきた社会学者。

 

この本は、氏が北ボルネオ(マレーシアのサバ州)でパームヤシのプランテーションを調査していた際に、ココスという島の名前が付いた移民の村があることに気がついたのが発端です。氏はココス島が北ボルネオから遠く離れた、インド洋に浮かぶオーストラリア領の島であることを突き止め、島に調査に出向きます。

 

文献を頼りにココス島の歴史を調べると、この島はもとは絶海の無人島で、1826年にイギリス人ヘアが自分の奴隷たちを連れて入植したのが始まりであると知れます。ヘアは東インド会社に関係が深い貿易商人で、かなりいかがわしい人物です。東インド会社からかなりのお金を引き出し、多くの奴隷を買って、ハーレムを作っていたらしい。

 

白人王国が出来るのは、実はこのヘアが呼び寄せたスコットランド人船長のロスの代からで、ロスはヘアをココス島から追い出し、自分の家族とヘアが残した奴隷たちを使って、島に自生していたココヤシからヤシ油を採って欧州へ輸出することで、ロスの一族は独立国のような状態を実に1978年(!)まで維持した。

 

この独立状態が維持できたのは、農業に不向きな、だからそれまでは無人島だったサンゴ礁島では、ヤシ油を輸出し食糧を輸入しなければ食べていけなったからですが、ヤシ油の製造が、男も女も子供までも分業して働き続けなければ破綻するから、つまり農業などで自給するための労働力が出せないからでもあったでしょう。

 

また、島の住民間にはロス一族を頂点にした階級制度があるのですが、大きな貧富の差が出来なかった(富を蓄積する余裕がなかった)ことも一因でしょう。労働は過酷で、ヤシ油の基となるコプラの生産量が増えると、母親が面倒を見れずに乳幼児の死亡率が増える、という残酷な事実もあったようです。

 

最終的にはオーストラリアがロス家から島を買い取り、オーストラリアの領有が確定するとともに、奴隷制もなくなるのですが、その後もマレーシア政府との間には微妙な政治的問題が残っているようなのです。

 

ところで、北ボルネオのマレーシア・サバ州にあったココス村は、ココス島がオーストラリア領になる以前に、独立前のシンガポールを通じて、マレーシアへ住民が強制移住させられた結果でした。サバへ移住した島民たちは、小規模な自作農としてココヤシの実を採りつつ、野菜や家畜を育てて、島では出来なかった自給自足の生活をしているとか。

 

最後に、本書では触れられていない事実を追記しておきます。

 

サバ州は現在、スールー王国軍を名乗る武装勢力が治安部隊と衝突するなど治安が悪化しているようですが、もともと、サバ州のあるボルネオ島東部とフィリピンのミンダナオ島西部は、その間にあるセレベス海のスールー諸島を支配していた、スールー王国の領土でした。航海と貿易を生業とする、海洋民族スールーの民から見れば、セレベス海の真ん中にマレーシアとフィリピン間の国境(ボーダー)があることなど、何の意味もないことでしょう。

 

陸地から海を見る我々日本人や欧米人とは間逆のボーダーの見方があり得ることは忘れないでいたいです。

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