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2015年3月29日 (日)

アンリ・ファーブル著「完訳 ファーブル昆虫記〈1〉」を読んで

《老齢に弱り、精力はなくなり、視力はおとろえ、動くこともほとんど出来ず、私は一切の研究の手段をうばわれてしまったので、たとえ命がのびたとしても、将来本書に何か付け加えられるとは思えない》

この本は彼の昆虫記(原題は昆虫学の思い出)決定版の第一巻だが、晩年のファーブルはその序文をこんな風に始めている。

ファーブルは1823年にフランス南部の片田舎に貧い農家の子として生まれ、1915年に92歳で亡くなったが、彼は自身の昆虫学の集大成であるこの本を1879年から1910年にかけて、つまり56歳の時から31年をかけ、合わせて十巻を刊行した。

ファーブルはこの決定版の序文で、自分は年をとってもう改訂できないだろうからこれを決定稿にしたいと述べ、その上でチャールズ・ダーウィンの唱えた進化論について、わざわざ以下の様な強い否定的な意見を記した。

《知性を持ち出して昆虫の行う多くの行為を説明できると信じた進化論は、その主張を少しも証明したとは思えない。本能の領域は我々のあらゆる学説が見逃している法則によって支配されているのだ。》

昆虫の天才的な驚くべき諸行動を規制しているのが「本能」であって、それがあるときは昆虫をあたかも高い知性をもつように見せ、あるときはまったく融通がきかない愚か者のように見せる、その本能の実態を観察と、考察と、実験とを積み重ねて明らかにすることが、ファーブルが生涯をかけた課題であったと思う。

それでも、彼の進化論に対する評価はあんまりじゃないか、という気がする。進化論が昆虫の行動を知性で説明しているという彼の非難は解せないし、この第一巻の狩蜂の行動の記録からは、狩蜂の種の分化とともに本能も分化したのではと思われる事例や、同じ種のなかで本能の分化が今まさに生じているとも推測される例をファーブルは見出し、記録している。不思議なことに、ファーブルの研究の成果は、昆虫の行動の進化に対しても多くの示唆を含んでいるようなのだ。彼自身がそのことにまったく無自覚だったのかどうかは分からないが、彼には「進化論」のなかに何か許せないものを感じていたらしい。

ファーブルに対してそんな疑問を持ちながらも、彼の偉業を振り返ってみたい。この第一巻からは、彼が研究者として学会にデビューするきっかけとなった、狩人蜂の一種、コブツチスガリの章を簡単に振り返ってみる。

31歳になったファーブルはアヴィニョンの高等学校(リセ)に教職を得ていたが、博物学の先輩である、レオン・デュフールのコブツチスガリの狩りに関する論文に対して異論を発表した。

フランスのツチスガリ類は全て甲虫類(本書では鞘翅類と記載)のなかでも、ゾウムシ類かタマムシ類を狩って、巣穴に運び込み卵を産みつけて幼虫の餌にしている。レオン・デュフールはこの狩蜂の獲物を手に入れて観察し、この獲物は死んだように動かないのに何日たっても腐敗しないことを見いだし、ツチスガリがゾウムシやタマムシに針で何か未知の防腐液を注射したと推論した。

ファーブルはこの防腐液の注射という推論に異議を唱える。ツチスガリの獲物は確かに死んだように動かないが、何日も関節がしなやかに動き、死んで防腐剤を処置された昆虫標本とはまるで異なる。そもそも獲物が死んでいる、というのが間違いなのではないか。

デュフールは、「なぜ死んだ獲物は腐らないのか?」という問題を自ら出題して、その答えとして「防腐剤」を見いだしたが、ファーブルはその「防腐剤」という回答に疑問を感じ、問題を「なぜ腐らないのか?」ではなくて、「死んでいないのに、なぜ死んだように動かないのか?」と問い直した。獲物の虫は死んでいなのだから、回答が防腐剤であるはずはない!

これも「コペルニクス的転換」の例になるかな?

問いが違ってくるので、答えもまるで違ったものになる。それは是非本書で皆さんが自ら確かめてください。

僕は、ファーブルの偉大さは、先人が見いだしたもっともらしい回答にも疑問を感じ、同じ事実から、彼独自のまったく新しい「問い」を見いだす能力にあると思っている。

そう、ファーブルは僕の子供の頃からのあこがれの人なのだ。僕は彼のこの類まれな能力を見せ付けられると、進化論に理解がなかったことなど、ほとんど許してしまっているのだ。

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