« 「縄文人はどこからきたか? 北の縄文連続講座・記録集」を読んで | トップページ | 「下北沢ものがたり」を読んで »

2015年3月29日 (日)

「縄文人はどこへいったか?北の縄文連続講座・記録集2」を読んで

本書は「縄文人はどこからきたか?」の続編です。

巻頭の特別講義では、骨から見た縄文人と弥生人の容貌の違いについて述べられています。頭部の骸骨の形は縄文人と弥生人でははっきりと異なります。その骨の形状などから推測される両者の容貌の特徴をまとめると・・・

まず縄文人の顔ですが、顔の幅が広く全体に四角で、眉が濃く、まぶたは二重で目が大きく、鼻は高く口元は締まっていて唇がやや厚く、全体に立体的な顔立をしています。その顔は東南アジアの人々と共通の特徴を示しており、縄文人が南周りで日本列島にやってきたことを暗示しています。

一方、弥生人はというと、顔は面長で全体に平たく、眉は薄くてまぶたは一重、鼻は低く、顎が発達していて口が大きく、平安貴族の顔そのままのような印象です。彼らはシベリアで寒地適応した東北アジア人の特徴を示しています。寒地適応の結果、体毛は薄く、唇も薄く、耳たぶも小さかったでしょう。

また縄文人は手足が長く狩猟に適した体型をしていた一方、弥生人は寒地適応により手足は短い特徴がありました。

紀元前3000年頃、北九州に東北アジア系の人々(後の弥生人)が渡来し、稲作を広めながら日本列島を東へと進みました。初めは縄文人とは別の集落をつくって住み分けていましたが次第に混血して、紀元300年頃(古墳時代)には関東地方にまで定住していたと考えられています。

弥生人が稲を携えて渡来した頃の縄文人の人口は全国で10万人(超過疎状態!)ですから、弥生人は縄文人の領域を犯さずに居住地を広げていけたと思われます。

ところで、現在の日本人を容貌の特徴から縄文系と弥生系に分けると、縄文系が3割、弥生系(=東北アジア系)が7割で、平均的な日本人は中国や朝鮮の人々と同じ東北アジア系の特徴を多くもっています。

ここでごく個人的なことを書かせて下さい。実は、僕自身は上に書いた縄文人の特徴がほぼ100%容貌に表れています。普通の日本人は縄文系といっても、どちらかと言えば縄文人の特徴が勝っているということですが、縄文人の特徴が僕くらい揃ってしまうと、周囲からちょっと浮いてしまいます(^^;。そんな訳で弥生時代以降の縄文人の運命には他人事でない関心があるんです。

ところで、本書の中心的な話題は北海道の縄文人がアイヌ人になっていくお話で、北方から北海道へやってきたオホーツク人の役割が大きかったことが示唆されます。アイヌ文化は13世紀、東北北部の奥州藤原氏が鎌倉幕府に倒された頃に成立しますが、その文化にはオホーツク人の影響が大きかったように思えます。

オホーツク人とは今日でもまだ謎の多い北方狩猟民族で、紀元前にはサハリンから北海道北東部、千島列島に広く居住し、容貌も生活スタイルも縄文人とは異なる人々でしたが、その文化は多数派であったはずの縄文人の子孫(アイヌ)の文化に引き継がれていった印象があるのです。

アイヌのクマ送りの祭りや離頭式の銛などの狩猟文化はオホーツク人の影響が推測されていますが、僕が最も注目するのはオホーツク人が消滅しアイヌ文化が成立すると伴に、それまで北海道内に留まっていた縄文人の子孫たちが、本州、サハリンや千島列島の北端まで進出していくことです。自給自足の狩猟採集民であった縄文人が、本州では稲作を行う弥生人に同化していくのに対し、北海道の縄文人の子孫たちは航海者で交易に携わったオホーツク人の後を埋めるように、生活のスタイルを一変させていきます。一般にはまだ広くは認識されていないのですが、アイヌ文化とは既に自給自足的な狩猟文化ではなく、狩猟や交易により得た品々(例えばワシの羽や干した鮭)を大量に本州に輸出し、逆に本州から米や鉄製品を輸入することで成り立っていたのです。旭川周辺では鮭を多量に獲るために居住地域まですっかり変ってしまったのでした。

この変化はたぶん、本州北部まで鎌倉政権が進出して大きな市場が開けたことと、縄文人の子孫がオホーツク人の交易者としての生活スタイルを取り入れた結果ではないでしょうか。

一万年以上続いた縄文文化の担い手であった縄文人が、大陸からの移住者に同化しながらも、13世紀以降、日本人とアイヌ人という各々異なる生き方を選んで今に至ったのですが、どちらも日本文化の根底にある縄文の文化を今日に繋いでいると僕は感じているのです。それが日本文化の他にない個性であるかもしれません。

 

« 「縄文人はどこからきたか? 北の縄文連続講座・記録集」を読んで | トップページ | 「下北沢ものがたり」を読んで »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 「縄文人はどこからきたか? 北の縄文連続講座・記録集」を読んで | トップページ | 「下北沢ものがたり」を読んで »