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2015年3月29日 (日)

「縄文人はどこからきたか? 北の縄文連続講座・記録集」を読んで

本書は「北の縄文連続講座・記録集」の副題が示すように、北海道での縄文文化からアイヌ文化への移行を話題の中心に据えつつ、日本列島の新石器時代に相当する縄文文化とそれを担った縄文人がどこから来て、その後どうなったのかを、自然人類学と考古学の研究者たちが最新の成果をもとに一般の人に解るように解説しようと言う、意欲的な啓蒙書です。

日本列島にホモ・サピエンス(新人)が確認できたのが4万年前で、この後1万5千年前に縄文文化(新石器時代)が始まり、3千年まえに弥生文化に移行するのですが、この縄文文化の担い手が本書でいう縄文人です。

縄文文化はかつて、南は沖縄の島々から北は北海道全域まで、日本列島の隅々に行き渡り、1万年以上も連続した文化圏として存在しました。そして、3千年前に大陸から来た渡来系弥生人によりとって替わられたかのように見えるのですが、ミトコンドリアDNAの解析によれば、日本人のDNAには縄文人のそれが色濃く残っていることが分かってきました。日本人が縄文人の血を引いていることは間違いなく、アイヌの人々が縄文人の子孫であることも確かで、つまり現代の日本人とアイヌの人々はどちらも縄文人の末裔であることが分かるのです。

(以下、ミトコンドリアDNAについて簡単に説明しますが、ご存じの方は読み飛ばして下さい。)
人間を含め、動物の細胞の核には染色体(DNA)があり、これに遺伝情報が書き込まれているのですが、通常の細胞の染色体は母親由来と父親由来の2本の染色体のペアで出来ています。生殖細胞ができる時に、この2本の染色体のペアが適度に入り混じりあってから、1本ずつに分かれ、父親から精子が、母親から卵子ができます。ですから子供は両親から1本ずつの染色体をもらっているので、父親と母親の両方の遺伝情報をもつ訳です。

ところが、細胞の中にミトコンドリアというものがあって、これは何故か独自のDNAをもっており、さらに不思議なことにこのミトコンドリアDNAは、母親から子供へそのままの形で引き継がれます。ですから私のミトコンドリアDNAは私の母と同じだし、母の母(母方の祖母)とも、さらにその母方の祖母ともまったく同じなわけです。ただし何千年も経てば、DNAの一部が変異することがあるので、二人の人間のミトコンドリアDNAがどの程度違っているかを調べると、二人のご先祖が何千年前に遡れば、同じ一人の母親に行きつくかが推測できます。

この原理を用いて、現代の色んな国の人、53名のミトコンドリアDNAを比較すると、日本人は南米人やイヌイット(エスキモー)に近く、韓国人や中国人からはやや遠いことが分かりました。また韓国人と中国人は、日本人よりヨーロッパ人に近いとこも分かりました。

このミトコンドリアDNAからの結果は、人類の進化の歴史のある仮説と一致しています。

人類は今から20万年前に東アフリカで誕生し、8-7万年ほど前にアフリカを出て世界中に広がって行きましたが、アジア人には実は2種類のルーツがある、というのがその仮説です。第一のルーツはアフリカを出た後、南回りにユーラシア大陸を東進した人々です。この人たちは多くのアジア人のご先祖になります。

 

もう一つのルーツはアフリカを出た後一旦北上し、ヨーロッパ人と分かれてからシベリアに達し、そこで寒地に適応した体型になった後で、中国大陸を南下しながら稲作を習得し、東南アジアや朝鮮半島、日本へ広がった人たち(東北アジア系)です。

日本で弥生文化を広めた渡来系弥生人とは、この東北アジア系の人たちで、寒地に適応したため、顔は平たく、耳たぶが小さく、手足が短く、一重まぶたであったと考えられています。今の平均的日本人に近い体型だったようです。遺伝的には日本人は東北アジア系の血が濃そうです。

しかし、ミトコンドリアDNAの解析は、日本人のルーツ、ひいては縄文人のルーツが南廻りルートにあるという推測を支持しています。

ところが、話はそう簡単ではありません。日本人のミトコンドリアDNAには日本人に特徴的な遺伝子のタイプ(ハプログループ)があり、それはM7aとN9bですが、M7aをもつ人は沖縄と九州に多く、関東、東北と北に行くほど少なく、北海道のアイヌでまた多くなることが分かっています。また関東の縄文人もM7aをもっていました。これは、渡来系弥生人が九州から関東へ広がり、縄文人の遺伝子は沖縄と北海道に多く残ったと解釈できますが、N9bの分布はそれとはちょっと違っています。

N9bは、沖縄、東北、アイヌで多く、九州ではほとんど見られません。関東の縄文人もN9bがありません。なお、渡来系弥生人はM7aもN9bももっていません。

(縄文人や弥生人のミトコンドリアDNAは残された骨や歯から調べられます)

つまりM7aとN9bは沖縄、北海道で多い点は共通ですが、九州から東北までの分布はまったく逆の形をしています。M7aは西高東低、N9bはその逆です。

この点について何の結論も書いてはありませんが、南廻りから日本列島にきた縄文人が渡来系弥生人と混血して現代の日本人になったという単純な図式ではないのかも知れませんね。もしかすると、縄文人が既に単一のルーツではないのかもしれません。

それでも、縄文人は沖縄から北海道まで共通の文化と、たぶん共通の言語を持っていたでしょう(ただし今の日本語とは異なり、アイヌ語に近かったかも)。本書のなかで、縄文文化は1万年以上続いたのに、なぜ沖縄から北海道の範囲に留まり続けたのか、という問いかけがあります。縄文人の末裔であるアイヌの人たちは、北海道からサハリンや千島列島まで進出した航海者でもありました。アイヌは狩猟採集民であると同時に、実は交易をする人々でもありましたが、それが答えかどうか分かりません・・・

ところで、このM7aやN9bは日本人以外からはほとんど見つからないとか。手掛かりはまた消えてしまい、日本人のルーツを探す旅はまだまだ続きそうです。

続編の「縄文人はどこへいったか?」については後日・・・

 

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