「ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯」を読んで
2010年に梨木さんの新訳が発刊されてから、既に沢山の素敵な書評がありますが、今年の1月にこの文庫版が出て、僕の奥さんの目に止まり、幸運にも僕も手にとって読むことができたという次第・・・
1940年のある夏の日に、著者のクレア・キップスは、巣から落ちたスズメの雛を拾う。彼(スズメ)は片方の羽根と足に先天的な異常があり、人の世話がなければ生きていけない小鳥だった。彼はクラレンスという名前をもらい、12年の生涯を著者のクレアとともに過ごした。
オスのスズメと人間の女性との12年間の生活の記録がこの本なのであるが、彼、クラレンスはまだ目が開く前から人の手で育てられたため、野生のスズメとはまるで異なった成長を遂げる。そして、そのことが却ってスズメのもつ本来の潜在能力を我々に示すことになった。
自然界でのスズメは決してウグイスやヒバリのような複雑な囀りはしないが、クラレンスはクレアの弾くピアノの音階に鋭く反応し、トリルを含む複雑な旋律を独自に習得した。しかも彼はそれを毎日一人で練習し完成度を高めていった。
クレアが彼に弾いて聴かせたのはどんな曲だったのだろうか。クラレンスはトリルや最高音部で急奏される曲に反応したらしいが・・・たぶんベートーベンやシューマンではなくて、モーツァルトやバッハのピアノ曲だったのではないかなあ。
本には数小節の楽譜が載っているが、クラレンスの歌は4度と5度の間を行ったり来たりする、結構複雑な音形だ。彼は音階を理解できたかもしれない。人間は言葉を鳥の歌から学んだという説があるらしい。逆に考えると、クラレンスはわずかながら言葉を話せた、とは言えないか?
この本で最も感動的なのは、11歳で脳卒中を患い、足が不自由になってしまったクラレンスが、それまでの飛び跳ねる移動方法を捨てて、片足を引きずりながらも歩いて移動する方法を自分で編み出すところだ。彼は決して「生」を諦めないのだ。
この物語は本来スズメとはどういう生き物なのかを教えてくれると同時に、人間とはどういう生き物なのかについても考えさせられる。
これをスズメと人間の種の違いを超えた、愛の物語だと考えることもできるだろう。クレアとクラレンスはお互いを必要と認めていたからこそ、戦時下の爆撃や機銃掃射の中をともに生き延びえたのだろうから。
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